ジェニュインの思い出 社台20口募集への憧れ

ジェニュインが放牧中の事故で亡くなりました。23歳でした。
1口馬主始めた頃の憧れだった馬。思い出を語らせてください。

ジェニュインはサンデーサイレンスの初年度産駒。
私が丁度、1口馬主を始めた頃の馬なのです。
当時は、今のように少口クラブはあまり無かったので、友駿とラフィアン、そしてユーワで検討して、結局、友駿とラフィアンに入会しました。

しかしながら、当然社台の存在は知っていた訳です。
入会審査(今もあるのかは分かりませんが)があるので、資料請求すら怖くてできないクラブでした。
いつかは社台…自分の中での誓いをたてたものです。

その憧れは捨てきれず、入会はできないけど、会報は見たい…会報だけの会員となりました。
今みたいにインターネット等ないので、会報とテレホンサービスの情報が頼り。
隅から隅まで会報は見ましたね。
そんな中、気になっていた馬がこの「ジェニュイン」だったのです。

当時は20口募集なので、ジェニュインは4000万だったので1口200万。
いつかは、こんな馬に出資できるような身分になりたい…そう思ったのは今でも覚えています。
あれからうん十年…今でも200万は払えません、トホホ。

会報が来たら、真っ先にジェニュインを確認してました。
当時は何故かよく分かりませんが、サンデーサイレンス産駒が超好きで、その中でもジェニュインのお気に入り度は凄かったと記憶しています。
2年目は知り合いが、バブルガムフェローを持っていた事もあり、バブルも超好きでしたが。

皐月賞勝った時なんて、本当に嬉しかった。
現地応援だったか覚えてないのですけど、多分現地に行っていたでしょう。

そして、私の愛馬G1初出走でしたが、クラウンシチー(無料提供馬ですけど)が、マイルチャンピオンシップに出走。
迷わず京都まで遠征しましたよ。だってジェニュインも出ましたからね。
ジェニュインが優勝…超感動しました。クラウンシチーはビリの方でしたけど。
好きな馬が目の前で勝つ…今では忘れかけている競馬の楽しみ方の1つですね。

デビューから引退まで…今みたいにグリーンチャンネル等でレースが振返れないのもあるでしょうけど、目の前のレースの記憶がハッキリ残っています。
更に、そのレースの記憶と共に、競馬に一番熱かった時代の活躍馬という事もあり、憧れの社台馬という事もあり、思い出としてしっかりと残っています。

ありがとう、ジェニュイン

まだ、日本でもオーストラリア(How Fairdinkum等)でも産駒が走っています。
頑張って欲しいものです。

ジェニュイン 牡 社台
サンデーサイレンス×クルーピアレディー(What Luck)
募集価格:4,000万(20口)

>>ジェニュインの種牡馬情報はこちら

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