味がしなかったラーメン 愛馬の思い出が走馬燈のように蘇る

今日の晩飯はラーメン。
出てきたら最初にスープを1口必ず飲むのですが「味がしない」。
例えが難しいのですが、スープがお湯そのもの。

店主を呼べ!とか、海原雄山ごっこでも良かったのですけど、もしかしたら病気かな・・・と。

過去にも1度、ラーメンが味しなかったことありますけど、初めての店だったので、こんな味のラーメンなのかな、で済ましてました。
しかし、今日の店は何度も行っている店で、何度も食べているメニュー。
スープの味が明らかに違います。
スープの色は、いつもと変わらないように見えましたけどね。

病気なのでしょうか。

まず、2ちゃんのコピペで、味が分からなくなって弁当作る「泣けるコピペ」を思い出した・・・。
見返すと、味覚の問題ではなかったけど・・・せっかくだから下記に貼っておきます。

あと何年生きられるか・・・そう思ったら、愛馬の思い出が走馬燈のように蘇ってきました。

香港スプリントでの口取り・・・。

初愛馬クラウンシチーが10冠ベイビーのメジロリベーラと併せ馬で先着したこと・・・。

ロードメビウスが福島600メートルの直線のせいで最後交わされたこと・・・。

みんな、ありがとう。
最後に良い思い出が浮かんできて良かったです。

話戻しますが、スープの味がしないから、にんにくボコスカ入れましたが、にんにくの味しかしなかった。
卵もチャーシューも味はしましたけどね。
明日、同じラーメンを再度食べてみます。

<ココカラ 2ちゃんコピペ>
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。

ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。

家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。

「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。

後悔で涙がこぼれた
<ココマデ 2ちゃんコピペ>