4月30日で平成も終わります。
一口馬主の歴史を平成史として振り返ります。
30年続いた平成もいよいよ終わりですね。
元号は日本独自とかで西暦一本化の話も度々上がりますけど、元号自体はとても良いものだと思います。
私は今(自称)85歳ですが、前回、昭和から平成になった時は小学生だったのでよく覚えていません。
尚更、感慨深いものがあります。
この平成で一口馬主の世界も大きく変わりました。
私の記憶だけで適当に平成史として、一口馬主に関することで平成内で大きく変化があった事項について振り返ってみたいと思います。
適当な記憶だけで挙げていってますから、昭和と平成の微妙な時期とかは間違っているかもしれませんが、ご了承ください。
一口馬主 平成史
・私が一口馬主を始めた
これが一番大きいでしょう、え?そんなの知らん?
平成4年から始めました。
四捨五入で平成と共に一口馬主人生を歩んできたと言ってもいいでしょう。
始めて稼いだバイト代で友駿とラフィアンに申し込んだ頃のあの気持ち、今でも忘れ・・・かけています。
ターゴワイス産駒・トウショウイレブン産駒、そしてロッキータイガー産駒を申込みましたけど、今から考えても凄い父名だ。
そして、友駿で2口申込んで無料でもらった馬がクラウンシチー。
私の一口馬主第1号馬でしたが、後に重賞も勝つ活躍でした。
出資馬が初めてG1を勝ったのも平成。
令和では勝つことがないでしょう(泣いちゃう)から、平成最後の平成最後だったと思われます。
・一口馬主クラブ馬の活躍が全盛時代に
今では活躍馬は一口馬主クラブ馬>個人馬主。
平成元年辺りはまだまだ個人馬主・オーナーブリーダーの馬が強かった。
ノーザンファームの勢いが凄いということもあるのでしょうけど、平成で一番大きく変わったのはこの図式な気がします。
・口取りに参加できるようになった
口取りに参加できるようになったのも大きいですよね。
クラブによっては馬主席にも入れます。
正式には馬主ではない一口馬主クラブ会員。
雰囲気だけでも味わいたいですものね。
・インターネットで情報が見れるようになった
これも大きい。
平成7年にWindows 95が出てから、インターネット時代到来になりましたが、それから徐々に各クラブも公式サイトで情報を発信するようになっていきます。
公式サイトができるまでは、電話のテープで近況を聴いていましたからね。
当時入会していたラフィアンは番号で数頭単位でまとめて聴けたので、自分の出資馬に辿り着きやすかったけど、友駿の場合はタイミングによってはテープの途中。
自分の出資馬が出てくるまで延々と聴いて待ってた、必要か分からない馬券予想コーナーとかもあって超長かった。
レース中継もグリーンチャンネルで全部を簡単に見れませんでした。
ラジオたんぱが唯一の観戦方法で、雑音交じりの実況で応援していた頃が懐かしい。
未だに覚えているのはニュースターシチーのデビュー戦、サンフォードシチーのデビュー戦。
家のベランダで必死にアンテナをなでなでして、雑音よ収まれ!で必死に応援していましたよ。
サンフォードシチーなんて直線で名前を呼ばれず、大敗か・・・と思ったら、後で知ったら凄い脚で追い込んできたこと。
この時代の良さもありましたね。
今ではスマホで全てが揃ってしまう。
便利な時代になりました。
SNSで出資馬仲間を見つけて仲良くするのも簡単になりました。
ただし、平成が終わっても令和が始まっても、私は知り合いが全くできませんが・・・とほほ。
・キャロットクラブがノーザンファームから馬を提供してもらうようになった
私がイメージするキャロットクラブは、未だにハープアイルとオグリキャップ産駒ばかりのイメージです。
ソウシュン、ソヨカゼ、ポジー・・・ニートなんて馬もいましたね。
馬名がとても印象に残る馬が多く、それでいて〇外も凄かった。
ポジー好きの私はレイ、そしてアフォードと2頭に。
それからノーザンファームの馬になってからは凄い活躍。
・シルクホースクラブがノーザンファームから馬を提供してもらうようになった
これも大きい。
私は早田牧場時代からの会員ですが、何回か見学に行ったけど、のんびした早田牧場の雰囲気が大好きでした。
シルクジャスティス、シルクプリマドンナ、シルクライトニングetc。
この頃の活躍馬も凄かったけど、暗黒時代と呼ばれる不振期間も長かった。
今ではノーザンファームの凄い馬も募集されて、活躍馬も多数。
変わりましたね。
・二度あることはサンドピアリス
ユニオンオーナーズクラブのサンドピアリスがエリザベス女王杯に優勝したのが平成元年。
1期生でしたものね。
・グリーンで募集予定の馬がロードで募集に変更
平成の一口馬主大事件?としては、やはりグリーンで募集予定と発表していた馬がロードで募集になったあの事件でしょうか。
1995年産だったと思うので、平成8年の募集でしたかね。
他にも大きな事件は書けないことを知っていますが、書けないから知らない。
・冠を馬名に付けるクラブが少なくなっていった
賛否両論はあるでしょうけど、個人的には馬名に冠はない方が良い派です。
今でも冠が付くクラブもありますが、無いクラブの方が多くなっていますよね。
牝馬だけ冠付けないクラブも多い。
社台がダイナを外したのが大きいかもしれません。
なお、サッカーボーイの世代(1985年産)から冠を外しているようで、微妙に平成ではないけど四捨五入で平成ということでお願い致します。
・いろいろなクラブが変わった
日信⇒ジョイ⇒セゾン⇒ライオン
日本ダイナース⇒サンデー
ユーワ⇒東サラ
シンボリ⇒サウスニア⇒広尾
クローバー⇒ゴールド
ウイン⇒ウイン(ビッグレッドにファームGに)
荻伏⇒ブルー⇒YGG
いろいろ変わりましたね。
ミリオンとかナムラとか、平成で無くなった?クラブかも知れませんけど、記憶が曖昧なので割愛。
クローバークラブはニューアル時はラウンジとかもあって凄かった。(スターエルドラード、スターキングマンの頃)
何度かネタにしていますが、マリアキラメキ等のエクウス愛馬会という認可が下りなかった?クラブも懐かしい。
未だに競馬ブックに掲載された広告を見てドキドキした頃を思い出しますから。
・新規クラブが続々誕生
G1サラブレッドクラブ
ノルマンディーオーナーズクラブ
DMMバヌーシー
ワラウカド
ニューワールドレーシング
特にここ数年で新しいクラブが続々と誕生していますね。
一口馬主クラブは認可がなかなか下りないと言われた時代もありましたが、競馬の楽しみ方の1つとして認められたということでしょうか。
もちろん、よく思われていない方々も多いでしょう。
ルールやマナーを守って楽しい一口馬主を。
今でも、新規クラブは3年間は年間20頭しか募集できない制限はあると思いますので、長く続いて募集頭数が増えていくクラブになっていってほしいな。
後発のクラブは、会費が安かったり、募集形式に特徴があったりしますし、今後もどのようなサービスが増えていくのか楽しみです。
・配当が少なくなった
税制の変更で、レース翌月に貰える配当が単純に少なくなりました。
確定申告も必須となりました。
サンデーの出資馬がオープン勝った時なんて、50万円くらい入ってきて家具を一式買い替えたこともありましたが、今では同じ賞金でも30万くらい?わからんけど。
個人的にはちょっと盛り下がったかな。
未だに競走馬を金融商品と言うには無理があると思う派ですし。
・ビッグレッドファームGが日本ダービーに勝ってないし、英ダービーに挑戦すらしていない
これは平成元年の頃に誰が想像したでしょうか。
1986年にグランパズドリームが日本ダービーで2着になり、時間の問題と思われていた?頃。
日本ダービーを勝つのは難しいとしても、1頭も英ダービーに挑戦していないとは。
キングハイセイコー産駒マイネルエナジーが英ダービーに登録して話題になったのは平成5年でしたかね。
当時は熱狂的な岡田信者でしたから、ワクワクしましたもの。
令和でいいので、本当に挑戦してほしいです。
漏れとか、他にあったらコメントを是非頂ければと思います!
長くなったので分割、続きや馬主編は明日にします。