志村けんさんと馬主

週末は風邪で無事に寝込んでました。
やることないので、ドリフをずっと見ていましたが・・・懐かしい。(号泣)

3月29日に志村けんさんの訃報。
突然のことで、普段テレビ見ないし(家にテレビないし)、芸能人とかも全く興味がない私でさえ衝撃が大きすぎてショックすぎた。
ドリフで育った世代でもありますから。

ドリフターズが凄い

志村けんさんのショックが大きい中、週末にドリフの全員集合や大爆笑をかなり見てました、10時間くらいは見た。
動画配信サービスは非常に便利。

私が子供の頃、全員集合、大爆笑はテレビで結構見ていたかな、ひょうきん族はほとんど見た記憶がない。
ただ、全員集合が終わった後のごきげんテレビの方が記憶があるかも。

見ていた頃のドリフは既に志村けんさんは主役級だったし、付き人とかの経験は知っていたけど、若い頃にかなり苦労されていたことは知らなかった。
「けん」という芸名は父親からとったことや、マックボンボン時代なんて知らなかったし、東村山音頭も知らなかったけど(失礼、週末で覚えた)、ヒゲダンスはかろうじて記憶にある世代。

1973年に荒井注さんが「ケンっ」と呼んで見習いとしてスタートしてから、東村山音頭がヒットするまで2年くらい、冷ややかな反応が多く?大変だったとか。
学校のコントで志村さんが入って数年後?荒井注さんがゲストに来た時の回を見たけど、付き人だったからなのかかなりビクビクしているようにも見えた。
こんな凄い人でも苦労した時代があったなんて・・・と。

そしてここ最近でも話題になった最後の5人でのオープニング撮影、他の皆がさっさと歩く中、志村さんだけはいかりやさんと足並みを揃えていた・・・これは泣けた。

今見てもドリフは面白いと思う。
これを毎回ライブで演じていた訳ですよね・・・凄い・・・一度でも観に行きたかったな。
だいじょうぶだぁも面白い。
志村魂も行こうと考えていたことはあったけど・・・残念。

ドリフの歴史は以下のコントが分かりやすいかも。
youtubeですみません。

https://www.youtube.com/watch?v=H5vwuIZ8vPs

志村けんさんと競馬

志村けんさんと競馬・・・と言えば、1981年のノミ行為でしょうか。
プロデューサーと仲本工事さんとの3人で競馬のノミ行為が発覚。
wikiによると、朝日新聞の見出しは「ノミ馬券だョ!全員集合」だったみたい。

そして、1ヵ月の謹慎。
賭けた金額は少なかったみたいで起訴猶予処分

そうなんです、起訴猶予処分ということで、他の2名と同様に罰金刑になっていたら馬主になれなかった、ことになるんですよね。

ちなみに、以降のコントでは度々この馬ネタが出てきます。
敢えて自虐ネタで入れているんでしょうけど、クスっとしちゃう。
上で紹介した動画にも出てきます。

志村けんさんと馬主

ようやくこのブログの本題というか、馬主の話題に。
志村けんさんと言えば、馬主としても有名・・・でしょう多分。
本名である志村康徳氏名義。
アイーンベル(サンデーサイレンス)の時は私も覚えていますが、サンデー産駒ということもあり、デビュー前からかなり新聞の記事になっていました。

志村けんさんは結構な頭数の馬主になっていますけど、中央では1勝もできていません。

アイーンベル 牝 サンデーサイレンス ミスベルベール 森 秀行 社台ファーム 655万円
アインジェイド 牡 ジェイドロバリー アンファテュエ 小桧山 悟 碧雲牧場 355万円
オサキニシツレイ 牝 タヤスツヨシ アンソレイユ 小桧山 悟 碧雲牧場 150万円
ハルカナミチ 牡 サクラローレル ツキノショウリ 小桧山 悟 筒井征文 127万円
ケンエックス 牡 アスワン ミスライトニング 尾形 充弘 碧雲牧場 50万円
アインスピード 牝 オグリキャップ カサブランカ 土門 一美 碧雲牧場 0万円
ミツノアジ 牝 ニホンピロウイナー スカイワーズ 小桧山 悟 碧雲牧場 0万円
アインイチバン 牝 タマモクロス アンファテュエ 石栗 龍彦 碧雲牧場 0万円
トノノオナリー 牝 スペシャルウィーク シクレノンソシエテ 小桧山 悟 碧雲牧場 0万円
ハッピーハート 牝 ティンバーカントリー キャッチマイラブ 小桧山 悟 碧雲牧場 0万円
ダイジョブダア 牡 アドマイヤドン トノノオナリー 小桧山 悟 碧雲牧場 0万円
マイピーチ 牝 テユーター ミスライトニング 尾形 充弘 碧雲牧場 0万円
ケンノホシ 牝 リードワンダー カサブランカ 小桧山 悟 碧雲牧場 0万円
ハセノユキノコ 牝 シエイデイハイツ トウジンニミツツ 菅谷 禎高 碧雲牧場 0万円
ケンノムスメ 牝 カンパラ ハマヒルガオ 小桧山 悟 碧雲牧場 0万円

15頭でほとんどが碧雲牧場の生産馬。
牧場経営者の長谷川敏氏と意気投合をして、馬を持つことになったのだとか。
驚いたのは、調教師である小桧山師に対して直接本人から連絡していていたようですね。
これだけの人だから、マネージャーとか付き人とかにやらせてるとかではなかったのが驚いた。
縁を大事にする方だったようですね。

この馬主としての成績に本人はガックシなのかなと思っていたけど、昔どこかのラジオで志村けんさんの馬主の話があって、

付き合いで馬を買ってるから全く勝てないのよ!

楽しそうに話していたのが印象に残ってます。(少し記憶が曖昧ではあるけど)

馬が好きで馬主となったというよりは、人との縁で馬主になったからなのでしょうかね。
こんな馬主にとても憧れてしまいます。
私だったら馬が未勝利で終わったらもう馬主はイヤっとか3頭目くらいで言いそうだもの。

アイーンベルはその後、3勝したハウエバーを産み、グリーンファームで募集されたサヴァーレはまだ繁殖を続けているようで血は繋がっていきます。

最後に

追悼番組の高木ブーさんの一言が泣けた・・・。

高木ブー「志村は死なないの。ずっと生きている」

今週もドリフ、だいじょうぶだぁを見まくります。

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